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どうしてぼくは、自分らしく生きたいと思うのか。
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ごとう研究員
2023.03.24

自分らしく生きることの苦難と、それでも挑戦するその意味を、ごとう研究員が自身の経験を通して報告します。

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どうしてぼくは、自分らしく生きたいと思うのか。

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この記事を書いたごとう研究員について

五島圭祐。株式会社ラムネCEO。大学卒業後、東京のソフトウェア開発会社に就職。システムエンジニアとして10 年程経験を積んだ後に一念発起。自分らしく生きたい、海外に住みたいという夢を追い、2019 年に会社を辞めてカリフォルニアに移住。

2022 年 7 月にカリフォルニアから福岡に保険代理店スタートアップの株式会社ラムネを設立。 Twitterでは「ごとう@ラムネCEO」で毎日投稿している。

目次

1. はじめに

こんにちは。カリフォルニアのユースホステルの小さな一間で、ゆったりした心地よい音楽を聴きながら、猛烈に執筆活動に勤しんでいるラムネ・ラボ研究員のごとうです。私たちラムネは、自分らしく生きる人のちからになりたいと願う保険代理店スタートアップです。

これからそんな皆さんのお役に立つ情報を、このような「レポート」という形で発信していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

なぜ「自分らしく生きる」と「保険」が関係あるの?

という疑問が、今あなたの頭に浮かんでいるかもしれませんが、それはまた、おいおいということで(笑)。今日は、「自分らしく生きる」ということについて。

自身の経験をとおして、心から自分のやりたいことが見つけられずにいたぼくが、「どのように自分らしく生きていると実感できるようになったか。そしてそこに辿り着いた今どう感じているか」を、このレポートの中でお伝えしたいと思います。

ぼくの経験が、少しでも皆さんの生き方のヒントになるとうれしいです。

2. 自分の人生を自分で決めていなかった会社員時代

2006 年、ぼくは大学を卒業後、東京のソフトウェア開発会社に就職します。システムエンジニアとして会計ソフトウェアを開発し、企業に導入する仕事に携わることになります。その当時は「順調」にキャリアの階段を登っていたと言えると思います。

プロジェクトをいくつもこなし、最終的には100 人規模のチームを率いるようになります。そこでの仕事は決して楽なものではなく、徹夜や休日返上で働くこともありましたし、いつも新しい知識や技術を自分で学んで身につけていかないと追いつかないレベルと量をこなしていました。

プレッシャーで毎朝吐き気が治まらない、なんていう時期もありました。とても大変でしたが、チームメンバーやお客さまに恵まれたことや、苦労を乗り越えてきた甲斐もあって会社からは評価され、10 年目の 2016 年にはマネージャーとしてビジネスを率いるようになります。

会社員時代。よい仲間に恵まれました。

しかし、キャリアの階段を「順調」に登りながら、心の中では「もやもや」していました。

「ここまで自分の身や心を削って、ぼくは何のために働いているんだろう」。

もちろん目の前のお客様のためというのはありましたし、チームのみんなと働くのも楽しかったのです。しかし深い部分で、それが最終的に社会にどのように貢献しているのか、本当に自分がやるべきことなのか、ということが、正直に言って実感できずにいました。

「心から満たされることなく、このまま一生働き続けるのか?」

という疑問が頭をよぎります。

アメリカで暮らしたいという小さい頃からの夢にいつも蓋をしていました。大きな流れの前でどう行動に移してよいかが分からず、ただただ心の中でもがいていました。

今思うと、この頃は自分で自分の人生を決めていなかったと思います。もちろん自分で大学やその専攻を決め、就職先やそこで働き続けることも自分で決めているのですが、それが本当に自分の意志だったかは自信がありません。周りや社会からの期待される「順調」に勝手に自分で合わせようとしていた気がするのです。

しかし、そんなぼくにも変化が訪れます。

3. わくわくする気持ちに従い続けて、カリフォルニアへの移住を決断する

きっかけはマネージャになって3 年目の 2018 年に少し働き方を変えようと思ったことです。ビジネスの行く末を決める立場として、目の前のことに囚われず広く世の中を知ろうと思うようになります。仕事は早々に終わらせ(メンバーを置いて帰り(笑))、仕事に関係ないことに時間を使います。

とにかく、今まで興味あったけど、なぜか勝手に自分のことではないと決めつけてしてこなかったことを片っ端からやってみました。美大にいって絵やデザインを習ったり、ワイン教室にいったり、ジムに通ったり、哲学対話のサークルに入ったり。美術館にも通いはじめました。やってみたらどれも楽しくて、美術館なんて気づいたら週一回のペースで通っていました。

そんな風に、自分のわくわくする感情に素直に従って行動しているうちに、心の変化を感じ始めます。心が軽くなるというか、素直になるというか。

「自分の人生なんだから自分のしたいことをすればいいじゃん」

と。そしてそんなことを 1 年続けた 2018 年末、ついに、ずっと抑え続けていた想いが溢れます。

「アメリカに行きたい。世の中の役に立つ、自分だからできることを見つけたい。そのためにはもう会社を辞めて自分でカリフォルニアに行くしかない」。

ここが人生の大きなターニングポイントになります。それまでの人生を否定する訳ではありません。ここまで積み上げてきたのだから、あとはそれを使って自由に生きよう、と思ったのです。

「やっと準備ができた」。

そんな気持ちでした。自分で移住プランを考え、気が付いたら上司にそれを提出していました。今思うと、その時の移住プランは陳腐なもの(そのため後でとても苦労するのですが(汗))でしたが、私の決意が固まっているのを感じ取ってくれて、上司や両親も最終的には納得してくれました。

会社の辞令が出てから日本を飛び立つ最後の一ヶ月半は、今までの人生で一番幸せな時間でした。毎晩、家族、友人、会社の同僚、取引先の方々と直接会い感謝を伝え、激励をもらい、みんなとのつながりを感じながら日本を離れました。

出発前の送別会。みんなに送り出してもらって人生で一番幸せな瞬間でした。

自分らしく生きるための旅の始まりです。

4. ぜんぜん思い通りに行かないカリフォルニアでの地獄の日々

期待に胸をふくらませ、憧れだったカリフォルニアの地に降り立ちますが、すぐに計画が狂います。もともとは三ヶ月ほど語学学校に通って大学のプログラムを一年受けて、インターンをしてアメリカ企業に就職!と考えていたのですが、そんなに世界は甘くはありませんでした(泣)。

まず、すぐに気づくのが、それなりに話せると思っていた英語がまったく通用しない…ネイティブスピーカーの英語は日本で聞いていた英語よりも段違いに早くなにを言っているか全然わからないし、彼らは日本人の訛りを理解してくれません。

ぼくの実力では三ヶ月では到底英語を習得できないことに気づき、大学に行くのを延期しますが、そこからが地獄の日々です。半年、一年と延期しても思ったように英語が上達しないのです。「たかが英語」のためだけに過ぎていく時間、減っていく貯金残高。

一年たっても相変わらずネイティブ同士の会話にはついていけず、子供扱いをされ悔しい毎日。中国人の友達と翻訳サービスを立ち上げようとしますが、そんな想いのない活動が続くこともなく、会社を離れた自分がいかにちっぽけで何も生み出せない人間だということを突きつけられます。

ここでは、家族や親友たちとも遠く離れています。同じ苦しみを分かち合える人がいない孤独。自分だけみすぼらしい将来が待っているかもという不安。眠れない夜。廃人のようにエヴァンゲリオンを見続ける夜。そしてその後に訪れる罪悪感。そんな地獄のような生活が2年ほど続きます。

最初に通ったシリコンバレーにある語学学校。元気を装っていますが、実際はなにもかもがうまく行かず、ひたすら耐える日々でした。

ただ不思議なことに、どんなに大変でもあきらめて帰ろうとは思いませんでした。強がりではなく、素直に以前のもやもやした状態よりは今の方がよいと思っていました。苦しいけど、何かに正面からぶつかっている、自分の足で歩いている感覚があったのです。

前か後ろかも分からない真っ暗闇の中を、只一歩一歩、歩んでいました。

5. 人々との出会いが、ぼくを変えてくれた

そんな地獄のような状況も 2 年ほど経ってようやく変化が見えてきます。そのころには英語も自信をもって話せるようになっており、まわりにテクノロジーを一緒に学べる友達やビジネスを教えてくれるメンターができます。そして学んだことや今までの経験を活かして、一つサービスの試作品を作ってみようと思いつきます。

そこで選んだのが保険のアプリ。情報収集の一環で、元同期で保険代理店を継いでいた、青ちゃん(ラムネ共同代表の青木)に声をかけます。

そしてその時に、保険という仕組みには人の人生を支える力があること、日本の保険業界には課題があること、そして彼がそれをなんとか解決したいと思っていることを知ります。その時、ぼくのアメリカや今までの経験で得た知識や技術が、この大きな問題解決の役に立つかもしれないと思ったのです。ふたりで毎週オンラインで会ってアイディアを出し合うようになり、それが盛り上がって仲間も集まってきました。

気がついたら青ちゃんと話し合いを始めて一年半後に、ラムネを設立していました。そして、ラムネのビジョンである自分らしく生きたいという想いを発信しようとTwitterを始め、さらに志を共にする多くの仲間に出会います。

この一連の出会いが、ぼくの気持ちを大きく変えてくれました。自分らしく生きようと夢に向かうぼくの想いに、共感してくれる仲間に出会えたのです。自分の弱みと思っていたことも受け入れてくれました。

例えば、ぼくは内向的。一人で深く考えるのが好きです。世の中は外向性が評価されるので、以前のぼくは友達付き合いがよく、調子のいいことを言う人間でした。

でもここで出会った人は、ぼくが深く考えた真面目な話に価値を感じてくれる人たちでした。Twitterでもたくさんの人がいいねやメッセージをくれます。内向的であることが強みにさえ思えるようになりました。自分自身を受け入れ、弱みを愛おしく思えるようになりました。

コロナなので授業はオンライン。この頃になると友達も増えて、いろいろなことが前向きに考えられるようになりました。

新しいことを目指すスタートアップというのは、想いを語って外部の人やビジネスパートナーを説得していく必要があります。ほとんどの場合は否定されます。自分のやりたいことを否定される度に、心がえぐられる気持ちになります。その時に、自分にはわかってくれる仲間がいるというのが心の支えになるのです。傷つきながらも想いに向かって歩みを進める勇気をもらうことができるのです。

自分のやりたいことだったから耐えられた地獄の日々が、自分に何ができるのかをひたすら考え抜いたその日々が、この出会いへと導いてくれたのだと思います。

ラムネの活動を通して、だんだん自分の個性の活かし方が分かってきます。ささいなことでも、自分のちからで価値を生みだす方法が分かってきます。やりたいことがだんだんクリアになっていきます。

それが自分らしく生きているという実感になっていきました。

6. 自分らしく生きていきたい

今ぼくは、心からしたいと思うことができています。今でも常に不安や孤独感はつきまといます。自分で人生を選んだということは、その責任も自分で負うということです。失敗してもセーフティーネットはありません。しかし、その不安や孤独と闘いながら、実現したいことに一歩ずつ自分の足で近づいていく。

そこには、苦難を乗り越えたときの喜び、自分の強みで価値を生み出す喜び、仲間とそれを分かち合う喜びがあります。問題はひっきりなしに押し寄せますが、その喜びを味わうために踏ん張ることができます。一度きりの人生、無難に過ごすよりも、そんな歓喜の瞬間をたくさん味わえるように、生きていきたいと思っています。

共同代表の青ちゃんと福岡で!彼なしではラムネは誕生していません!!

そして、自分と同じように自分らしく生きる人々のちからになりたいと思っています。ぼくは、自分らしく生きたいと願う人々が、それぞれの個性を活かして新しい価値を生み出していくことが、その人たちにとっても長らく閉塞感にもがく日本の未来にとっても、大切なことだと考えています。

自分らしく生きることが当たり前の世界を、皆さんと一緒に実現していく。それが今のぼくの夢です。

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